2025年になりました。毎年言われていることでもある、
「今年はどのような年になるのか」ということについて考えてみます。
合理性追求の中での非合理への渇望
ここ1年で飛躍的に生成AIの進化や社会への浸透が進み、
チャットという身近なUIを活用したOPEN AI社は見事、というくらい
ある程度の人がAIを使うようになりました、
これまで◯時間かかっていたことが、●時間で、ないしは△分で
というくらい目覚ましい効率アップが実現されています、
世の中はどんどん効率化へと向かっていっているわけです
効率化というのは気持ちの良い言葉に聞こえますが、
あくまで手段なわけで手段が目的化してしまい効率へのあくなき追求が起こると、
息苦しくなる人達も一定数いるのではないかと見ています
例えば、会議を端的に進めようとしすぎるあまり、
「これだったら、データ共有だけで十分じゃない?」となった経験のある方も
おわれるのではないでしょうか、
私は効率はどうでもいい、とは当然思ってはおりませんが、
効果がますます重要になってくる、そのように捉えています
目的を達成することに執着した場合、最短最速が必ずしもベストではない、
一見非合理的に見えても効果を考えた際に、短期的には非合理的な行動をとったほうが、
結果的に長期スパンで見ると効率的にも優れている、そのような可能性もあるわけです、
これを遠眼合理と知人が命名し、私も素敵な言葉だなと思い、時折引用しています、
先程のMTGの例を見てみましょう、1時間でMTGを終えましょう、効率的にやりましょう、
答えの見えている時代には適応する間違いなしです、
だが、答えのないところに答えを創り出す現代において果たしてそれがベストか、
もしかすると、あるMTGで数時間をかけて徹底的に価値観をぶつけ合った結果生まれた問いのほうが
時代に合うサービスの開発にもつながるかもしれない、
つまりMTGの時間をコントロールするとは、成果を出すための変数を全て把握し、
かつほぼコントロールできる、ということが前提になるわけです、
少し大きな視点でいいますが、MTGのKGIをGDPだと仮定すると、
失われた●年とも言われる通り、この尺度においては日本は停滞しています、
それを基に判断すると、正しいMTGのやり方は存在すると言えるのか?という疑問も生まれるわけです。
効率が上がるとおそらくですが、人は効果、言い換えると感動、喜びとのバランスを
取りたくなるのではないでしょうか、それが仕事において難しいとなると、
プライベートということになるわけですが、レンタル農園、料理、レザークラフトなどの広く捉えてモノづくり系、筋トレのようにインプットとアウトプットの分かりやすい趣味などは需要が高まるはず
なぜアート思考が大事なのか
皆さん、アートに馴染みはありますでしょうか、
私は絵画というよりはプロダクト寄りでヴィンテージのアイテムなどがいくつか、
さらにはSK8系のバナーはおそらく居住地の自治体においてはNo1の所有数だろうな、くらい所有しています
会社の方では以前取材させていただいた、ありがとうファームさんのアートを玄関に飾っています、
日本人はちなみに世界でもトップクラスに美術館にいく人種らしいです、
が、アートの所有率はけして高くはないようです、
そのアートですが、ほとんどの人が時間をほとんどかけずに見ているようです、
それと対をなすような絵画の楽しみ方でもある対話型鑑賞、これがビジネス領域においても注目されています、
非常にざっくりになりますが、流れを説明しますと、
絵画を所定時間じっくりと眺めて、感じたことを言語化して発表する、
他のグループのメンバーも同様に見て感じたことを言語化する、
細かくいうと、ファシリテーターの投げかけなども入ってきます、
実際にやってみて気づくこととしては、絵をこんなにじっくりと見たことなかったな、という感想と、
感じたこと思ったことを言語化しようとする際になかなか言葉が出てこないこと、あたりでしょうか、
アートがなぜ経営において重要なのか、山口周さんの書籍などもきっかけと言われておりますが、
それはずばり「問いを立てる力」を養うことに役立つからです、
代表的なところでいうと、アンディ・ウォーホルさんはそれまでの「アートとは」という価値観を作品を通じて壊しました。故にあの方の作品は評価を受けているわけです、
アートというのは時代において欠けているものをキュレーションすることだと言う人もいます、
それは問いを発すると言い換えても差し支えないのではないでしょうか、
問いを発するためには徹底的に観察を行い、苦労しながらも浮かんだものを言語化する、
デザイン思考とごちゃごちゃになる方もおられるかもしれませんが、デザイン思考はジョブ探し、
「顧客はドリルではなく穴を欲しがっているんだ」にあたりますね、
一方で、アート思考は社会運動とも捉えられます、
問いは賛否を巻き起こし、コンセンサスを得るまでにはそれなりに時間がかかることもあります、
それもまた上述の山口周さんがクリティカルビジネスパラダイムという書籍にまとめておられます、
話題になったアートに触れていた本は今回の書籍への布石だったのか、そう感じるくらい。
自然から人へ
2015年のSDGsに始まり、ビジネスと環境は切っても切り離せないそのように言われることも増えました、
最近のトレンドはリジェネラティブでしょうか、
もともと自然と一体の存在であった人間が工業化などを迎える中で
テクノロジーの力を借りて自然を支配するように、その結果都市化なども進んだ、
しかし発展とトレードオフに生じたのが環境問題であり、具体的な形では気温の上昇などにつながっている、そこで国際的な環境に対する取り組みにおけるコンセンサスも形成された、
リジェネラティブとは究極をいうと、企業が事業をすればするほど環境が良くなる状態を指していて、
所有から利用へなどと一時期騒がれておりましたが、少し落ち着いた感があります、
ただ難しい点として、CO2の可視化なども重要テーマであるものの目に見えるわけではない、
スコアリング、モニタリングされても現実味がどれくらいあるのか、
これは個人的な意見にはなりますが、CO2の、と言われた瞬間に話がふわふわする印象を受けます。
また、言葉に魂を込めつつ話しているという方にお会いしたことがない、
そして、企業の組織構造は新興企業でもない限り使い捨て前提の時代のものとなっており、
これを現実的に利用に合わせた形にシフトできるのか、
財務諸表が大きく変わることは新入社員でもわかりますよね、
かつ熾烈な顧客の奪い合いともなっています、
それが言いたいわけではなく、かつて人間が自然を支配したように、次の時代はAIが人を支配するようになるのではということ、脱炭素、脱炭素と世の中が騒いでいるように、AIによる支配の反動から、揺り戻し運動のようなものが生まれるのではないか、人間らしさとは、根本的に変わらない人間の素養とは、このあたりは少し先の未来かもしれませんが、確実にホットなトピックスになるでしょう、
SNSを毎日使っているものの、真の友達はいない、そのようなケースについてはAI(というよりはテクノロジーか)に残念ながら支配されているとなるのではないでしょうか、
不便益という考え方
不便益という考え方を聴いたことはありますか?
不便を加えることで結果的に益を提供するという考え方です、
便利⇔不便
益⇔害
という2軸図をつくり、
便利✕益=便利益(一般的な製品やサービス)
便利✕害=便利害(ネットで神社参拝ができるが、ありがたみが。。。)
不便✕益=不便益(不便であることで本質的な価値提供に気づかせる)
不便✕害=不便害(そもそもこれでは事業としては成立不可能)
という4つの象限ができます、
ここにおいて、特に着目したいのが、
・便利益→不便益
・不便害→不便益
この2つの象限です、
・便利益→不便益
もともと便利で益があるところに、敢えて不便を加えることで益をもたらす
・不便害→不便益
意味のイノベーションを起こす(ユーザーイノベーションの場合も多いかもしれない)
後者のわかり易い例はとある芸人さんかもしれません、
ある時期までは、ずっと嫌いな芸人に選ばれていたが、ある時以降、大人気の芸人さんとなり、
冠番組を含めて引っ張りだこに、
本人は変わっていないわけですが、周囲からの受け止められ方が変わったわけです、
外的環境の変化も不便害から不便益へのシフトにおいては影響を及ぼしそうです
あるプロダクトの本質的価値を捉えた際に、すべてが快適、ではなく、
あえて「不」という引っ掛かりをつくることで、価値を増幅する、
駅から離れたパン屋さん、歩いて30分ほどの距離にあるが大人気、
駅から歩いた距離の分、パンも美味しく感じる、
キャンプにおいておコメを炊くのも同じようなものかもしれませんね、
と自分なりに価値創造のフレームを色々と考えて楽しんで見てください
・・・時代の変化が、というよりは自分の変化にフォーカスを当てるべきかもしれませんね、
自分のこう生きていきたいと願望はますます重要になるため、自分と向き合うことをオススメします