間が必要ということ
先日、マイクロプラスチックについて
学ぶ機会がありました、
事前にとある映画を見て、
その感想のシェアも含めて監督さんと話し合うというもの、
その中で、考え方のぶつかり合いがありました、
方や、プラスチックは良くない、大手企業は
社会的責任もあるし取り組みを行うべき、という意見で、
方や、プラスチックに受けた恩恵を認識したうえで、
今後のプラスチックとの向き合い方について考えるべき、という意見、
そこで感じた事としては、喧嘩両成敗ではないですが、
どちらが正しい、どちらが正しくない、ということはない、ということです、
私自身もプラの恩恵を当然受けてきましたし、
今日現在の私の身の回りにもプラ製品は当然あります、
すでにあるものをわざわざ捨てる必要はないし、
プラよくないと言っているヒトも、
プラゼロ生活をできているかというと、決してそうではないと想定されます。
それは以前にも申したかもしれませんが、アパレルも同様。
現在、悪物のように扱われているものの恩恵を
おそらくほぼ100%の方が受けているわけで、
それをスパッと悪と断ずる姿勢は共感できません、
もちろん、地球のことを考えると、
環境破壊が根本的な要因だとすると、そこに対して
声を上げるということは必要な行動と感じます、それは当然、
ただ、全てを白か黒か、と断ずることは難しく、
あいだ、があってもいいのではないかということです、
全て白か黒かだと窮屈になるのではないでしょうか、
〇〇ねばらなない、ではヒトは動きませんよ、
ラベリングをすることはSDGsの理念と反すると感じるのは私だけでしょうか。
SDGsかサーキュラーエコノミーか
理事をしているNPOの総会がありました、
その中で進めている事業の中に地域情報誌をつくる、
という事業案についての意見交換をする機会がありました、
リユース・リデュース・リサイクルを軸に、
資源の最大限の活用を地域でもできるようにするための補助ツール的冊子です。
その冊子についての問いとしては、
SDGsとサーキュラーエコノミーいずれの概念がいずれの上位に来るのか、
というものでして、
国連などの国際機関や教育機関、様々な業界団体でも要職を務められた
我々の大先輩から投げかけられました、
なかなか難しい問いです、その他、冊子の中で使われている不用品という言葉についても、
現在のリサイクルの流れも不用から有用にゲームチェンジするための技術が日進月歩で発達しているなかで、
となった際に、そのワードもどのように捉えるか、うーん、奥深い。
不用品という言葉が実際に何を指すのか、という考え方もできますが、
以前、リユース事業をしている事業者がリサイクルショップと言われている時期があり、
検索ワード対策は本望ではないがリサイクルショップとしている時期があり、
それを転用して考えますと、不用品という言葉が伝わりやすい言葉であるとすると
(ユーザーにとっては不用なもの、という意味)
その言葉を使っていいのではないかと感じ、
この変化の大きい時代においては、ニュートラルな言葉をあてる、
のが最善なのではないかと思っています。
循環資源という言葉はその意味においては、
アジャストしやすい言葉ではないでしょうか。いつの時代も資源は資源。
どんどん部分最適化されたアプリやサービスがローンチされている後のご時世、
リユースとリサイクルを包摂した情報源というのは意外とありませんので、
是非、成功裏に導くべく、関わり合いを強めてまいります。