パイロットから古民家へ、レジリエンスを得ながら誰一人取り残さない場所づくりを目指す三浦さんに話を聴いてみた

パイロットから古民家へ、レジリエンスを得ながら誰一人取り残さない場所づくりを目指す三浦さんに話を聴いてみた

三浦さんとは、カーボンニュートラルをカードゲームで学ぶというコンテンツの
ファシリテーションの資格取得という場でご一緒させていただいて依頼の仲で
まだ期間としては間もないのですが考え方などで激しく共感させていただける点も多く
今回インタビューをさせていただきました

R:REUSED
M:三浦さん

パイロットから古民家

R.かんたんなご自身の紹介と現在、取り組まれていることについてお聞かせください!
古民家を買うことになった経緯などもお教えください。

M.私は仙台で生まれ、当初はパイロットを目指していました。結果的には自衛隊のファイターパイロットとなり、全国を転々としながら訓練に明け暮れておりました。ただ、今後のキャリアを考え、管理職になった際のイメージをした際に、より自分のイメージに近いのが民間のパイロットだということで、自衛隊を離れました。常に自然環境を相手にした責任ある仕事をしたい、という想いがありました。自衛隊の際に受けた訓練は今の暮らしの中でも根っこでは役立っていると感じます。

その自衛隊を離れたタイミングで震災が来たんですね。当時は職もありませんでしたので、とりあえず1週間、食べ物や水は自分で準備して車中泊でもしながら被災地で泥の掃き出しなどのボランティアをしようと東松島のボランティアセンターに行きました。

実際に始めてみると、とても1週間で終わるようなものではなく期間を延長し、社会福祉協議会の方からは1ヶ月いてくれるなら、各地から来るボランティアさんの受付等の手伝いをしてほしいと言われ、手伝いをするうちにどっぷりと関わるようになりました。現地のボランティアセンターが収束するタイミングで、大手のNGOから声がかかりまして、民間のパイロットになるという夢は先延ばしになるものの、地元で起きた災害に対しての復興を見届けるということで、宮城県の地域担当になり、宮城県の沿岸の様々な復興活動に関わるようになりました。

パイロットを目指していたときって、ヒトの営みに触れることってほとんどなかったんですよね。それが復興に関わるようになって、本当に様々なコトに触れることになりました。公民館の復旧や就労支援、介護、母子家庭の支援や住民活動の支援など、個人から地域まで。震災のような有事の際にはいろんな問題が顕在化するわけなんですよね。その問題に対応する方々をNGOがサポートするわけで、それまでに知ることもなかった課題について知ることとなりました。

R.そこで色々とお感じになられたわけですね

M.はい、そこで感じたことが、今までの生活自体が持続可能ではない形だったのではないかということで、そもそもの暮らし方を変えなくては根本的に世の中は変わらないのではないかということです。気仙沼の漁師さんが非常に印象に残っていて、その方は震災のような有事にも全く困っていないんですよね。
食べ物も、電力なども。周囲では経済が機能停止しているわけなんですが、その影響を全く受けていない。
おっしゃられていたのが肉でも魚でも野菜でも必要になれば自分で取れば良い、ただそれだけ、まさにレジリエンスです。皆がもう少し生き方について見直してもいいかもしれないと、その時に強く感じたことを覚えています。

お金を稼ぐことができれば幸せ、ということではなくて、山や自然との接点を日常的に多くつくっていきたいと、実家の敷地で農業をしてみたり、肉はどのようにとれるのかを探求するために狩猟免許を取得し、動物の生命を絶つという経験もし、暮らしていくということへの実感値を得たいという想いが強くなっていきました。
そうなると当時暮らしていた仙台のアパート+実家の農園では物足りなくなり、広い裏山が在り野生の動物も居て、そこにニワトリやヤギを飼い、野菜も自分でつくりながら生活する、そのような暮らしができる物件を探し始めました。結果的に豊かな自然環境の中に大きめの古民家がついてきた、というのが今の家に住むようになったきっかけです。

ヒトの顔が見えるようになった

R.なるほど、古民家から入ったというわけではなかったんですね

M.この家に住みはじめて気づいたことですが、私が今住んでいる家に対して地域の方それぞれ思い入れがあるみたいなんですよね。外国人留学生とBBQした、でしたり、月光仮面をテレビで初めて見た、でしたり。人の想い出のつまった古民家を起点に地元の方とのコミュニケーションが生まれ、仕事では得られない関係性ができるんです。家を起点にした地域コミュニティですよね。維持管理は大変ですが。。。
今後は暮らし方が以前と比べてどう変わったのかを発信していきたいですね。
仕事でお金を稼ぐだけで豊かになるのか。色々な方とのつながりが豊かさにつながるのではないか。

仙台で暮らしているときはうちに人が来たという記憶はなく、必要に応じて外に出ていくのみでした。それがこの暮らしをはじめてすでに100人くらいの人が遊びにきてくれています。こういう暮らしもいいね、という共感者を増やしていきたいですね。この生活をはじめて一次産業の大変さも分かるようになりましたし、買い物をする際に生産者の顔も見えるようになってきました。仙台のときはスーパーにいって野菜を買う際にも、ただお金を払って買うだけでしたが、今は違いますね。

当時もおそらくは、生産地から始まる循環の中にいたはずですが、人の顔は見えてきませんでした。都市の暮らしは便利ですがそれと引き換えに寂しさもありますね。
お互いに顔が見えない世の中ゆえに、いざという時に支え合うということが難しくなっている気がします。安心感や幸福感とは距離がありますよね。

私はこの生活をするようになって、困ったら顔の見える人たちに相談をすればなんとかなる、という強さを得られた気がします。究極なんとでもなる、と。
お金も目的ではなく手段ですので、お金がなくても得られるものはあるということですね。実際に近所の人にそら豆をもらったりもしますし。ただし、お金を否定しているわけではなくて、私自身、今の暮らしをベースにした新しいお金の得方を開発したいと考えています。すでにいくつかの計画があります。
完全に資本主義経済から離れるというわけではなくて、あくまで今までの偏りをなくした生き方のバランスというものを追求しています。

R.CNの養成講座のときにも絶賛ご自宅を整備中と伺いましたがその後の進展はいかがでしょうか?
進められる中でのご苦労や気づきでしたり、印象的なエピソードなどもあればお教えください!
最近あった嬉しかったことなども合わせてお教えくださいませ!

M.苦労という点では当初は仙台の仲間との開墾を計画していましたが、やり方が全然分かっておらず、自然環境にも良くない形でやってしまっていました。しかし2年間試行錯誤をしていると段々と分かってくるんですね。結果的に私と妻の2人でやることになったのですがとてつもない作業量で、仕事量を調整しながら進めていきました。周囲にはみなでやればいいじゃん、というヒトもいましたが、それでは地に足がつかないんですよね。
かなりの労力を要する形にはなりましたが、代わりに得られるものもありました。木の見極めや伐採技術、自分たちができることが増えてきているという拡張感など。

最近では自伐型林業に関心が出てきました。毎年収益を上げ続けられる山の管理の仕方なんですが、地域には山を持たれている方も多いので、その方々の山の管理を請け負えないかと考えています。私が山の環境を整えることで、持ち主の方のストレスも軽減できると思っています。

R.エピソードには事欠きませんね!

M.最近ようやくヒトを招くということができるようになったんですよね。これまでは竹が地面を覆っていたのですがそれを片付けて、テーブルを置き、たけのこパーティーができるように。竹林の奏でる音を聞きながらの時間を皆で楽しめるようになりました。まだまだ日々発見の連続で、つい先日1度もあけたことのなかった井戸の蓋を開けてみたところ、まだ使えそうということがわかったり、また、ちょこちょこと色んなところが壊れているので、それらも直さなくてはなりません。

目下の最も大きな悩みごとは家の中にある大きな神棚をリフォームの際にも残したいのでどのように分解・再設置するかという点ですね。リフォーム関連でいうと、配線周りも自分でやりたいので電気工事士の資格を取得すべく勉強中で、福島で使わなくなったソーラーパネルも大量に購入したので、その活用方法についても検討中です。ソーラーパネルについては、軽トラが欲しいと考えているのですが、軽トラもEV化されますので太陽光発電で軽トラや、さらにはDIYで使う電動工具を動かすことができればエネルギー代が不要になるなぁ、だったり、施工の際の足場は竹だよな、なんて妄想を描いています。
戦略的に考えているわけではありませんが、行動をする中で一つ一つがつながっていくんですよね。

丸森町というところで蜂蜜を採る体験をつい先日しまして、うちにも実は蜂の巣箱を置いているのですがなかなか蜂が来ないという話をしたところ、
蜜蝋を箱に塗ると来るようになるかもよ、なんてアドバイスをいただいたり、日々そんなことの連続ですね。
ただ、私がいる村田町は高齢化の進む町で、町の整備のために除草剤を蒔くんですよね。それが蜂にとっては良くないんです。それも地域のリアルですよね。ECOな生活について実は最も伝えづらいのが近所に住む方々かもしれません。

正しさよりも楽しさ

R.CNのファシリテーターや、SDGs de 地方創生のファシリテーターの資格をそれぞれお取りになられる
背景にはどのようなことがあったのでしょうか?

M.東日本大震災以降見てきたこととして、入り方ってとても大事だなということです。
エビデンスももちろん大事ですが、楽しいから入る。正しさより楽しさ、と言えるかもしれません。
権威の有る方がファクトベースで訴えかけていくというのも一つのやり方であると思いますが、
市民レベルで裾野を拡げていく際には、本能的に受け入れられる方法であることが重要ですね。

仲間の中には社会課題の解決に命をかけている人間もいる中で、憚られる気持ちもなくはないですが、目指している点は同じであると考えています。同じゴールを目指す中でも方法については様々なやり方があっても良いと思っています。持続可能な社会というのはあまりに範囲の広い話で、捉え方によっては時に対立さえ生んでしまいます。行政と市民での考え方の違い、市民でも世代によって考え方が異なっていたり、ゴール観が微妙に異なることで対立、分断が生じてしまう。

SDGs de 地方創生では、完全なる一致がなくても皆でゴールを目指していける、それを体験することができます。バロメーターが4つほどあるのですが、一つのものに固執しているうちに時間がなくなっていってしまう、
現実世界でも、全体観をもち、各現場において、お互いがお互いを認め合いながら前に進んでいけるといいですね。地域のヒトも議論をすることに慣れていないんですよね。社会としての糊代が必要だと感じます。お互い受け入れられる余地を残したい。
テクノロジーが進化しすぎると社会としてのレジリエンスが失われるのではないかという懸念はありますね。

R.古民家にお住まいになられるようになって、考え方などが変わったということですが、
どのような点がもっともお変わりになられたのでしょうか。

M.四季の変化を真に感じるようになりましたね。仙台で暮らしている時期は快適そのものでしたよね。
今は夏は暑く、冬は寒い。いやおうなく季節を感じます。季節の移り変わり、1年の重み、
時間の経過とはどういうことなのかが理解できるようになりました。この夏をあと何回経験できるんだろう、なんてことも考えますね。

四季それぞれとどう戯れて、どう遊び尽くすかですね。例えば、春が来たという喜びが地域によっては祭りなどで表現されるわけですが、
肌感として分かりますよね。ふきのとうが出てきたことで春を感じたり、家の中に来る虫をみて冬を感じたり。
残雪がうさぎの形に見えたら田植えをする、などの伝承などは、まさに季節とともに生きている中での知恵だと思いますね。

都会の生活では、カレンダーで日のめぐりを感じるわけですが、ここでの生活においては日の長さ、時間の経過の重みを1日1日感じられます。1日1日当然違うわけですよね。何を豊かとするかは人それぞれですが、このような感覚を得られる生活も豊かだなと思いますね。

誰1人取り残さない空間づくり

R.今、三浦さんの中での最大の関心事は何になりますでしょうか?どんなことでも問題ございません!

M.関心事が挙げるとキリがありませんが、強いていうと大工仕事をどう覚えるか、ですかね。
あとはこの生活を如何に商いにしていくか、今でも3~5万円くらいのビジネスのアイデアはいくつもあり、それをどのように実行していくかですね。先程挙げさせていただいた自伐型林業も気になりますね。集落で大きな山を管理しているのですが、もっと地域のことを知って、その管理などで地域の役に立ちたいですね。元々村田町では家の屋根の吹き替えの際に共助の文化があったみたいなんですよね。

地域がどのように形作られてきたのか、ようやく自分のフィールドでできることの全貌も見えてきたので、地域にどんなヒトが居て、どのような課題があって、その中で自分に何ができるか、を考えていきたいと思います。地域におけるルールなども知る必要がありますね。
地域の方は気さくで、例えば、面白い作物を育てているヒトもやってくれるなら事業をあげるよ、なんて言ってくださいますし、物産店をあげるよ、なんて言われたこともありました。もっと私から情報を取りに行かなくてはなりません。

R.三浦さんの今後の野望について教えてください!

M.家の物理的なリフォームには壮大な計画があり、薪ストーブを入れて冬の火を見ながら暮らしたい。キッチンもセントラルキッチンにしたい。などですね。それを少しずつ、3年位かけて宿泊もできるように完成させていく予定ですね。林業の話をさせていただきましたが畑も増やして食べられるものも育てていきたいです。フォレストアドベンチャーのフィールドも創りたいですね。さらには裏には川が流れているので、そこで魚を獲ってみたり。その画を実現するまでには5年くらいですかね。
今は全体を100とすると20くらいの段階で、ようやくマイナスをゼロにしたくらいですね。

R.2030年がSDGsの一旦のゴールイヤーとなっておりますが、2030年をどのような形で迎えられるとハッピーでしょうか。

M.SDGsが1人も取り残さないという在り方を示していますが、うちの環境で少しでも気持ちが楽になるという環境を提供できればと思っています。苦労されている方がリラックスできる環境を提供できれば。暮らしの持続性としては電気、井戸からの水、食べ物も自給できるようにしたいです。
緑も豊かに、そして小商いも成立して。持続可能なスタイルが確立されている状態が良いですね。
私の根本は東日本大震災、そして福祉的観点で支えたいというところにあり、質の高いリトリートなどを提供できれば良いですね。経済的にも環境的にも楽しく生活でき、そういう生活に憧れるヒトが出てくるような展開がつくれていると嬉しいですね。