子供が原動力!線でつながる会社員経験のち、コロナ禍に起業した多彩な加藤さんに話を聴いてみた

子供が原動力!線でつながる会社員経験のち、コロナ禍に起業した多彩な加藤さんに話を聴いてみた

今回は合同会社エネスフィアを経営しながら、飲食空間を中心とした地域活性事業会社も共同創業され、CSOを務められています加藤さんにお話を聞かせていただきました。私と加藤さんの出会いはあるSDGsに関する勉強会で、とても思考の深い方だなという印象でした。また、2050CNというカードゲームのファシリテーターという共通項もあります。独立にいたるまでの経緯や、これからについてなど、様々なことについて語っていただきました。

合同会社エネスフィア HP
https://enesphere.co.jp/

加藤さん:K
REUSED:R

会社員家系で無い中での会社員経験後の起業

R:まずは自己紹介と今お取り組みされている事業の内容についてお教えください!

K:加藤と言います。今は2つの仕事をメインでやっています。一つは中小企業のSDGsに関するコンサルティングで、もう一つは飲食業で都内で2店舗ほど経営しています。これまでのキャリアとしては、電機メーカーの営業から、環境に関するコンサルティングファーム、そして民泊の運営代行会社と脈絡なく感じられるかもしれませんが、自分の中では線になっています。元々環境に関心があり、自分の身の回りから変えていきたいと考え、起業いたしました。

R:コロナを機に独立されたとのことですが、元々そのようなお考えをお持ちだったのでしょうか?また、SDGsを事業ドメインとされたのはそれまでのご経験が関係しているのでしょうか?

K:元々独立する予定はありましたね。コロナ禍前の民泊代行の仕事の経験の中で、旅館やゲストハウスをやってみたいと考えていました。ただ、コロナ禍で先行きが見えなくなり、その選択肢をとることは一旦あきらめて、ご縁もありSDGsを切り口に独立することにしました。私自身、会社員をしておりましたが元々我が家は会社員家系ではなく、家族や親族に私のように会社員をしている人間はいませんでした。地元は岐阜の土岐市で親は美濃焼の事業を営んでいます。地元の学校ではクラスメイトの半数は親が窯焼きと、焼き物が盛んな地域でした。そのような地域でしたので、スーツを着てする仕事がなんとなくかっこいいなと感じていました。美濃焼は瀬戸物としても国内で認知されています。美濃焼についてはお椀やお茶碗などがよく挙げられますが、うちの親は差別化のために陶磁器製のスプーンのみをやっています。


バブル期にはとても儲かったようで、父親は当時、ペンション経営をしたいということでペンション経営に乗り出したもののバブルの崩壊と共に事業が立ち行かなくなり、祖父から事業を受け継ぎました。
電機メーカーの営業の時に感じたのが、自分がやっていることは周囲の皆と同じで会社の歯車の一つだなと。


その後は親のように独力で仕事をしていける人間になりたいと、知見の幅を拡げるために様々な会社を支援する仕事がしたいと思い、環境系のコンサルティングファームに入りましたが、これが激務で。。。
アフリカでカーボン・オフセット市場を創り出す、低炭素事業を推し進めるPJなどを行っていたのですが、なかなか進まずにコンサル事業中心に収益を上げているような形でしたね。自分の担当であるアフリカ地域へ出張したり、日本国内にいるときも業務時間内外問わず、情報収集や分析・調査レポート作成、現地との折衝などをしたり、と全く時間はありませんでしたね。その後、日本で世界と関わる仕事がしたいということで、コロナ禍前までは民泊の運営代行の仕事を著名な企業同士が立ち上げた合弁会社で行っていました。


こちらの会社は民泊+仕事で検索をして探しあてました。なかなかない形の就職活動ですよね。その前のコンサルティングファームもFacebookでの情報収集がきっかけだったんです。

R:加藤さんのなさっておられる事業はビジネス環境の変化もお感じになられやすいのではないかと感じますが実際に事業をされる中で、変化をお感じになられる瞬間などはおありでしょうか?

K:最初はSDGsについて勉強したいということで無償でサービスを提供していました。それだけでは食べていけないので、ライスワークとして営業代行の仕事をしていました。始めてから1年位経過したあたりでしょうか、仕事としてお願いしたいという声をいただきました。入り口でSDGsのボードゲームを取り入れていたのですが、イベントの参加者の方が悩みを相談してくださいました。まだ、当時はSDGsも黎明期でSDGsはなんとなくイメージできるが、それが自分たちにどう関係していくるのかが分からない、といった内容の相談でした。今では皆さんある程度の知識はお持ちですが。今でもボードゲームは活用しており、ファシリテーターの育成も行っています。自身が関わる社団法人の認定ファシリテーターも1000名を超えてきました。ゲームの中にはファシリテーションスキルが明確に必要なものもありますが、私達のボードゲームは取り組みやすいものになっていますね。
学校の先生がファシリテーターを目指すというパターンも多く、全体の3分の1は先生ですね。コロナ禍では旅行関係の方も多かったです。ボードゲームが全国を対象にしており、当時はリアルな旅行が難しかったため、修学旅行における探究学習的な要素として取り入れたかったのだと思います。ボードゲームは企業研修の入り口としても役に立ちますね。

子供が原動力

R:先日、変わった形での組織形態を関わられている企業内においてとられているとお話しておられましたが、どのような理由でそのような組織形態にされたのでしょうか?

K:意図していましたね。私はまだ会社員の時期から社外でつながっていた仲間と定期的にイベントや飲み会をしていました。5年くらいの付き合いでした。その後コロナ禍に入りお店も使えなくなり当然飲み会も無くなる中で、年齢的にも各自が20代から30代に差し掛かっており、自分たちのこれからについても考えていかないといけないよね、という話になり、次の展開への一歩踏み出そうと。そこで資金を出し合ってまずは会社を創りました。事業としてシェアハウス事業をやろうとアパートを買ったのですが結果的に自分たちで使うことになり、さて何をしようかと思った時に、元々飲み会を多く行ったいたこともあり飲食に関わる事業をやろうということになりました。飲食店向けの営業代行やシェアキッチンの営業代行など、そんな折にシェアキッチンに関するお話があり、我々もシェアキッチンとして出店できることになり、我々自体が飲食店を運営することになりました。シェアキッチンは一つの店舗(ハコ)を複数店で時間帯を分けて運営する形態ですね。
自分たちだけで黒字確定できる根拠がありました。各自が自分の人脈で飲み会を店舗で開催するだけで十分な売上は創れる見込みがありました。私達の会社のイメージはコミュニティに近いですね。各々本業をもっていたりもするので、スペシャリティややりたいことを持ち寄って会社運営をしています。

R:2023年でもっとも印象的だった出来事やもっともうれしかった出来事などお教えいただけますと幸いです!また加藤さんを動かす原動力についても重ねてコメントください!

K:子供が生まれたことですね!原動力も子供です!コロナ禍に自分で会社を立ち上げましたが収入は当然不安定で、仮に自分ひとりであれば生活するには十分ですが、子供が生まれるとさすがにこのままではまずい。今までよりも仕事を成長させなくてはならないというモチベーションにつながっています。生活リズムはオンラインを維持しており、リモートワーク中心にしていますのでコロナ前後でもペースを変えずに過ごせています。毎日17~19時は仕事を入れずに、子供をお風呂に入れることにしています。時間の制約は増えましたが集中力も増しました。やらないと分からないことがたくさんあるんだなと思いましたね。

R:最後に、2030年がSDGsの一旦のゴールイヤーとされていますが、2030年をどのような形で迎えられているとハッピーでしょうか?是非、今後の展望も含めて!

K:今が2024年で2030年まではあと6年ほどです。SDGs自体の達成は現実的に難しいのではないかと感じていますが、ただし諦めてしまっては何も良くなりません。今からできるベストを尽くしたい。今できるベストを尽くせばその先の社会は変わっていくと考えています。達成できないから諦めるのではなく、もっと社会を良くしたいと皆が思えるように、SDGsのおかげで社会が良くなっている、皆がそう思える社会の実現に寄与したいですね。現在、一番支援したいのは中小企業で、中小企業には世襲企業が少なくありません。親と異なる形で会社を伸ばしていきたいという二代目、三代目を支援して2030年にそのような会社が台頭するような流れをつくることができるとハッピーですね。